top of page
20210222-062-FH010033.jpg
け せ ら せら.png
  • グレーInstagramのアイコン
matsui ayane  photo exhibition.png
“Que Sera, Sera”.png

ばあちゃんのお茶目に笑う顔が大好きです。

”けせらせら”といいながら背中をさすってくれる時間が大好きです。

何かあったら、とりあえず実家に帰って地元を散歩します。

そんな時に何も聞かずに全てを悟ってなのか、

たわいもない話をしてくれる母が大好きです。

いろんな習い事をさせてくれたり、相談もせずに進路を決めたときも、

なにをするにも応援してくれる父に感謝の日々です。

 

こんなに大好きな家族に囲まれていたのに、私は自分の人生なのにどこか他人事で、知っているような気でいてその上知ろうとしていませんでした。

生涯現役を謳っていた元気な爺ちゃんが数年前に倒れたとき、

何かわからないけどいてもたってもいられなくなり、

ひたすら時間を見つけては地元に帰って写真を撮るようになりました。

写真に残しておけば、なぜか安心して東京に戻ることができたんです。

 

病院でじいちゃんの死を覚悟し最期は家で過ごそうと連れて帰ると、なぜか元気になってそれから認知症になりながらも4年弱生きてくれました。

これまでに撮影していた家族写真をプリントアウトし、それをみんなで見て思い出話をして、爺ちゃんは自分の遺影はこれがいいと決めていました。

元気になってくれたおかげで米寿のお祝いもできたし、父母の銀婚のお祝いもできました。

実家に帰るたびに私の名前を当てるゲームをしていました。

じいちゃんは悔しそうにあたまを掻きながら、笑って違う名前を言ったりたまに当ててくれたり。忘れられてしまうことがこんなにも寂しいのかと思ったけど、爺ちゃんも寂しかったのかも。

職人気質でそんなに会話をしてこなかったけど、認知症になってから笑顔の写真が増えたし、饅頭が好きなことも知りました。

4世帯8人で暮らしていた時よりも、家族のことを知る時間が増えました。

 

実家で過ごす時間と、東京で過ごす時間はどこか非現実的のような感覚で、自由気ままに過ごしていた二十代までの自分の認識と、現実に差がありました。私の知らないところで家族はそれぞれ日々生活していて、変化していて、老いていて。そんな当たり前のことが当たり前ではないことに知らないふりをしていたようです。

家族がいなかったら、爺ちゃんも自宅で最期を迎えることができませんでした。介護し続けてくれた母、妹、父、ばあちゃんには頭が上がりません。母に関しては、毎日仕事に行って帰ると、父の病気によりそいながら母方の爺ちゃんばあちゃんの介護も並行して行なっていて、その上たまに帰ってくる私の面倒も見てくれて。小さな身体のどこにそんなパワーを秘めてるんだ。すごすぎる。

その間、東京で仕事をしていて家族に何も貢献できない私はなんの存在意義があるんだろうと問い続けました。

今もまだわかっていません。

 

 

 

これらの写真は、

つい先日爺ちゃんの3回忌が終わるまでの松井家6年間の記録です。

 

私にできることって何かあるのか、返せるものがあるのか。

これからも私は、実家に帰って写真を撮り続けてみることにします。

matsui ayane photoexhibition

"け せら せら"

2箇所同時開催中!

 

▪️SRR Project Space

window gallery

東京都世田谷区北沢2丁目22-2

下北沢駅徒歩3分

2024.12/20-12/25

24h

※ 25日 夕方まで

※ 在廊しません

▫️ATELIER MINAMI

東京都台東区元浅草1丁目6−27

新御徒町駅徒歩3分

2024.12/20-12/26

11:00-19:00

※在廊予定は、後日ストーリーにて

bottom of page